メルマガ『【最も早くおしゃれになる方法】現役メンズバイヤーが伝える洋服の着こなし&コーディネート診断』の著者で、人気ファッションアドバイザーとして様々なメディアから引っ張りだこのMBさんと、国民的人気を誇っていた「たけし軍団」の一員としてテレビなどで活躍し、最近はメルマガ『グレート義太夫の「貰えるものなら病気でも!」』を創刊されたばかりのグレート義太夫さん。そんなお二人による異色のクロストークが、なんと実現してしまいました! 透析患者として闘病の日々を続けている義太夫さんと、様々な困難の中から今の引手あまたの状態を作ったMBさんによる「ネガティブからポジティブへの変え方」の話題から、『お笑いウルトラクイズ』をはじめとした懐かしのお笑い番組の裏話まで、様々な話題が飛び出したロング対談の一部を、今回は特別に公開します。
肉体芸の日々と糖尿病の発症
MB 今日はよろしくお願いします。
義太夫 どうも、はじめまして。
MB いやー、僕自身は今年で37歳なんで、『ひょうきん族』とか『スーパーJOCKEY』とかの世代からは、微妙に外れると思うんですけど、僕の兄がすごく見ていて……。
義太夫 この前冷静に考えたら、この世界に入ってもう36年なんですよ。
MB えー、長いですよね。
義太夫 夢を持ってこの世界に入ったんですけど、待ってたのは悪夢でしたもんね。
MB (笑)。悪夢だったんです
...moreか?
義太夫 『スーパーJOCKEY』とかでも、もういろんなことをやらされて。最後のほうはもうやることが無くなっちゃって、「動物を素手で捕まえてみよう」とか、訳の分かんないことをやらされてたんですよ。それで、動物プロの先生がちゃんといるんですけど、「見本をみせますから、先生の言う通りやってください」「いいですか、ヘビは後頭部が死角ですから、後ろから近付いていって……」ってやってたら、ヘビが振り向いて先生の手をガブッて噛みついちゃって。それで血がダラダラ流れてるんだけど「さぁ、どうぞ」って。「できねぇよ」って(笑)。……そんなことばかりでしたよ。
MB だいぶ過激でしたよね、あの頃のテレビって。
義太夫 そうそう。あと初期のK1、アンディ・フグでしょ、レイ・セフォー、それに佐竹雅昭やマイク・ベルナルドがいて……全員に蹴られたことがありますよ(笑)。これは自慢なんですよ。
MB (笑)。僕はたけしさんがすごく好きで。『スーパーJOCKEY』も観てたし、『元気が出るテレビ』もめちゃくちゃ好きでした。
義太夫 『元気が出るテレビ』はすごかったですね……テリー伊藤。
MB そうですね。
義太夫 今はなんかねぇ、ワイドショーで文化人みたいなことやってるでしょ。「暴力は人を育てませんよ!」とか言っちゃって。昔は、ADを歯が折れるほど殴ってたのに……。
MB (笑)
義太夫 それと、『お笑いウルトラクイズ』ね。
MB 見てました見てました。
義太夫 あれもテリーさんが「軍団をイジメるとおもしろいから」ってことで、一本の番組にしたのが始まりなんですけど。
MB え、そうなんですか。
義太夫 それで熱川のバナナワニ園っていうのがあるんですけど、ワニが200匹ぐらいいて、なぜかそのうちの1匹だけゼッケンを付けてるんですよ。で、そのゼッケンに何って書いてあるか読んで来いって言うんですけど、それにはワニを裏返さなきゃいけないと……。
MB (笑)。そういうのありましたよね。
義太夫 飼育員の人が「危ないからやめてください」「こいつ、卵から孵したのは僕なんですけど、いまだに僕のことを食べようとするんです」とかって話をしてるのに、テリー伊藤は「大丈夫ですから!」って言ってるんですよ。「お前、やらないだろ」って。
MB 大丈夫じゃないよ(笑)
義太夫 そういうのをかいくぐって36年ですよ。
MB いやぁ、すごいですよね。でも傍から見てても、義太夫さんはホント壮絶な感じがしましたけど。
義太夫 体がドンくさいから、とりあえず飛ばされて壁にぶつかってたりとか……。
MB 身体を使う感じでしたよね。
義太夫 そうです。もう人体実験みたいなもんですよね。
MB 36年の芸歴の中で、身体を張った芸というのはどれぐらいまで続けられてたんですか?
義太夫 ずいぶん長らくやってましたよ。現場に酸素ボンベが用意されてるっていうような……。だって、息があがっちゃうんですよ。例えば、円谷プロから借りて来た怪獣のぬいぐるみに入れられて、それでマラソンをやれとか、ボクシングをやれとかね。今だったらコンプライアンスとかで絶対ダメなようなものもね。でも逆に言えば、いい時代でしたよね。
MB 確かに、当時のテレビ番組ってめちゃくちゃ面白かったですもんね。
義太夫 そうですよ。だって、普通に爆破されるんですから(笑)
MB そうですよね。もう、腹抱えて笑ってて。「これ、大丈夫なのかな」とか思いながら見てました。
義太夫 そうやって見ていただけるのが、一番良かったんですけど、やっぱりだんだん過激になっていくと、文句を言いだす人が現れて。
MB 今は本当にそうですよね。
義太夫 「アレを見て、子どもがイジメに走ったらどうする?」とか。どこの子どもが、ワニを連れてるんだっていう……(笑)
MB 確かに(笑)
義太夫 だから、軍団に入って20年ぐらいは、そういう体力系の芸を続けてたのかな。昔はそんな番組ばっかりだったじゃないですか。『スポーツ大将』とか『たけし城』とか……。
MB あぁ懐かしい『たけし城』。……それで身体を酷使していったわけじゃないですか。それが今になってツケになってるってこともあるんですか?
義太夫 これはホントにね……。ある時『ヒット&ビート』っていう、たけし軍団の番組が始まったんです。それまでは殿の番組に出てたんだけど、これは軍団の冠番組だから色々と頑張ろうって、意気込んでたんです。で、その番組の中に対決コーナーがあったんですけど、それでやらされたのが、色んなものを中ジョッキで一気に飲むって企画。最初は牛乳とかだったんで、ちょっとお腹を下すぐらいで済んでたんですけど、だんだん飲むものが無くなって来て、ついにはガムシロ。ガムシロを中ジョッキで一気飲みですよ(笑)。で、それを飲んだと思ったら、今度はハチミツが出てきて、最後はカルピスの原液。……その3連発で、糖尿になったんじゃないかって。だから、俺の糖尿は労災だなって(笑)
MB その糖尿だっていうのが発覚したのは、何歳頃のことだったんですか?
義太夫 36歳の時だから、もう24年前ですね。
MB あぁ、じゃぁちょうど今の僕ぐらいの歳ですね。
義太夫 その前の年に、親父が糖尿で死んだんですよ。食道動脈瘤破裂っていう合併症で。それで「糖尿で死んじゃったよ」って言ってたら、その1年後に自分が発病したっていう。
MB あぁ、そうなんですね。
義太夫 自分では夏バテだと思ってたんです。その頃、デブばっかりを集めてオリンピックをやるっていう『デブリンピック』っていう番組の企画があったんですよ。ウガンダさんとかホンジャマカの石ちゃんとかも出てて。それで、オープニングで体重を測るんですけど、自分は100キロだって申告して行ったら、88キロぐらいしかないんです。でも、自分では全然そんな覚えがない。メシも普通に食ってるし、運動もしてないし……。で、後からお医者さんに聞いたら、それは糖尿の表れですって。
MB へー。自覚症状は全くなかったんですか?
義太夫 今考えると、テレビで字幕が見づらかったり、妙に疲れやすかったりとか……。あとは、喉が渇いてトイレが近くなったりとかね。てっきり、夏だから汗をかいて水を飲むからトイレが近くなるんだと思ってたら、それは完璧に糖尿の初期症状らしくて。
MB そうなんですか。その頃は毎年、定期健診とかをしてて……。
義太夫 いや、してないです。ウチは完全放し飼いなんで(笑)
MB なるほど(笑)。じゃぁ、自分で行かれることもなかった?
義太夫 なかったですね。病院に行くとしたら、どちらかというと外科ばかりでしたから。当時、東京女子医大にはすごくお世話になりましたから。何かというとあそこに運ばれて、医者や看護婦さんに「また来た」って言われて。
MB へー、それは収録で怪我をしてってことですか?
義太夫 そう。だって『ガンバルマン』とかって、アレは2本撮りだったんですけど、1本目の収録に10人いた軍団が、2本目は7人しかいないんですよ。
MB 3人は運ばれてるってことですか(笑)
義太夫 それに関しては、誰も何も触れないっていう……。
MB すごい(笑) ……それで、糖尿が発覚してか...